昨日は気張りすぎて、寝るのが朝の6時とかになってしまった。
Youtubeを見ても寝れなかったので、将来について考えてみた。
結論、三つ出てきた。
①勤務時間も自分で決められる事業を自己責任でしたいということ
②貧乏な老後は嫌であるということ。老後不安が自分の中で非常に大きな物であるということに、自分で驚いていた。
まぁ、そのために、働ける仕組みや、貯蓄を決めていかなければならないが、働きたくなったら働いて、別に働きたくないなら働きたくない状況を作り出したいのであった。
30代という中年に差し掛かり、これから50までの20年間は、その仕組みづくりに邁進していくであろう。
若いうちしかできないことはなんなのかを決め、時間とお金の投資量を決めて。それ以外は全部老人になってからの蓄えにする。
そんな生き方がしたいのだった。
そんな中、私は企業の手助けをする法律家になりたいと思えてきた。自分の知識をもって、事業に貢献したいのであった。
でもそれは、大企業の顧問弁護士なんていうものではない。
町の社長さんが、世のため人のためになる事業を継続的に行うにあたって、その法律相談役として働きたいのであった。
まぁわからないところは出てきたが、復習に時間をかけて頑張る。
そんな感じで、中小企業診断士の仕事にも、ダブルライセンスとして興味が出てきた。
とか言ってる間に、離職票が届いた。やっとこれで失業保険がもらえる。素晴らしい。
そんなこんなでまた行きつけのスタバで将来についてああでもないこうでもないと考えるのであった。
そして、三つ目にわかったことがある。
今まで私は金が大事だと思ってクソ馬車馬(ただの馬車馬ではない。クソ馬車馬。クソ奴隷とも言う。これ大事)のように働いてきた。
そして、社会的信用が得られる正社員という身分になった。
確かに金銭的な不安は薄らいでいくが(ゼロとは言ってない。これ大事)
けど、ストレスも半端ではない。
自由な時間も最大限と言っていいほど削られていく。
これに対するストレスも半端ではないのだ。人生そのものである時間を切り売りしなければならない。
他人に口出しされ、大切な大切な、もう戻ってこない、本当に大切な、時間を切り売りすることになる。
だから、結論③として私にとって大切なのは金ではなく時間だということがわかった。金は、現在および将来の生活が安定するだけの貯金があれば十分だ。
この結論、感覚は自分の中で大事な宝物だ。
他人がとやかく言おうが、これは自分だけの結論だ。誰にも否定されてなるものか。
みんなこれを大学生の時に気づくのかな。
でも私は気づけなかった。そんなことをのんべんだらりと考えられる身分ではなかった。
クソ底辺のバカ底辺(ただの底辺ではない。クソ底辺。ただの底辺ではない。バカ底辺。これ大事)
だったので、クソ馬車馬のように(馬車馬ではなくクソ馬車馬。これ大事)、働いてきたのだ。
おぼっちゃまとは身分が違ったのだ。そんなことに頭は使えなかったのである。
あ、例によって底辺マウンティングのコメントはいらないです。
というわけで、明日は自分の最低限の生活費がいくらなのかを計算していこうと思う。
時間の大切さに気づき、今打ち震えている。
時間を有意義に使うことの幸せを知り、今、震えが止まらない
ああ楽しい。最高だ。