私にとって、仕事、作業、タスクとは重厚長大な金属の直方体を意味する。
具体的な物質ではなく、概念的、観念的な話だ。
そして仕事をするということは、その直方体を認識するところから始まる。
全体像をつかもうとするが、それは決して現れない。
あるいはその一片をあらわにするだけである。
材質は鉄に似ており、多少ざらついている。
作業に取り掛かるときは、その面をゆっくりゆっくり撫でていく。
撫でてもその直方体はなくならない。
作業が終わるまで、その一辺をあらわにしているだけである。
そして、行き詰まってくると、直方体は大きさを増す。
ここで焦ると、硬さを増し、その金属は塊となって清潔な純水に満たされたガラスの壺(これは心の比喩)の大部分を占領し始める。
一度沈んでしまうと、その塊をまた純水から取り出さねばならない。取り出すのに時間がかかり、放置すると、それはヘドロに形を変える。
仕事を再開するときは撫でている時と違って重みがあるので、引き上げるだけで体力を使う。
上手く行き始めると、ぼんやりとしてくる。
輪郭は薄れ、点線になっていく。
そして、純水で満たされたガラスの壺は、一旦中身を空にし、きらきらと鈍い光をたたえはじめるのだ。