また一日中考えていた

うんうんうなって考えていた。

 

 

 

 

 

俺はこのまんま行きたい方向進んで行ってもええのんかと。

 

 

 

 

 

堂々巡りだなぁと思いつつ、すごく贅沢な時間を過ごしていることも実感している。自分のためだけに、考えるというふわふわしたことのためだけに、3時間半くらい考えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

普通だったら(あえてこの言葉を使うが

 

 

 

 

 

 

 

この時間は大学の時にあるんだろうな。この3時間が4年分あったら、すごく思考が進むだろう。

 

 

 

 

 

 

 

なぜ私はそれを出来なかったか。

 

 

 

 

 

 

金と自己肯定感がなかったからだ。

 

 

 

 

 

常に自分が間違っていると感じ、悲観的な未来しか予測できず、金がないから心理カウンセラーのところにも行けない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

4年で数百万かかる金持ち収容所に来てしまったがために、「クソ馬車馬労働」に精を出し、それを言い訳にすることで現実と向き合わずに過ごしてきた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今モラトリアムが遅れてやってきたので、誰になんと言われようとも、堂々とボケーーーーーーーっと物事を考えていたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

だってそんな時間なかったもん。大学のときは働いてきたんだもん半分フリーターレベルで。月の労働時間は160時間をゆうに超えて、

 

 

 

 

 

(あ、私はもっと働いていたとか、そんな時間があったとしても将来について考えられるだろうなんていうマウンティングやお説教ならいらないです黙っててください。自己肯定感が低くて当時の記憶が無いレベルで暗黒時代なんです)

 

 

 

 

 

 

所得税取られてたし扶養控除なんてとっっくのとうの昔に外れていたもん。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

貧乏人が喉から手が出るほど欲しいお金のために、自分の若くて貴重な時間を切り売りしてきたんだもん。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

このぐらいの時間は許されてもいいはずでしょう。

 

 

 

 

 

おっと熱くなってしまった。昔のことを思い出してカッとなるのは悪い癖だ。

 

 

 

 

まぁ、この時間を大事にしようと思うよ。